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今日も他人事

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213年 ~三頭の龍~



漢中を攻略し、遂に益州全土を支配下に治めた劉備。

一方、宿敵・曹操は奪われていた長安と寿春を奪い返し、その勢力を盛り返し始めていました。

曹操が力を取り戻す前に長安を攻略してしまうべきだと法正が進言する一方、諸葛亮は主力軍を失った関中十部軍を平定することで後顧の憂いを絶つことを優先すべきであると告げます。

これに対し、劉備は法正の意見ももっともであるが、事態を急いてはならぬ、と諸葛亮の案を選びます。

その一方で、諸葛亮に漢中に残って民政の統括を行うことを命じると共に、法正を重装備部隊の総隊長に任命し、拠点攻撃の指揮を任せます。



三月。諸葛亮の勧めに従い、漢中王に上った劉備は遂に北伐に踏み入ります。

この時、北伐のために軍師達が献策した戦略は、以下のような内容でした。

『中原に進出して漢王朝を復興する為には、西方の要である長安、交通の要衝である洛陽、帝が居られる許昌を抑える必要があります。曹操に反撃の機会を与えることなく、一挙にこれを平定しなければなりません。まず、陛下がこの漢中にて長安の曹操軍を釘付けにしながら、張飛、董白の二将軍の率いる騎馬部隊と法正の指揮する重装備部隊を涼州の制圧の為に送り込み、これを平定します。その間、上庸の趙雲将軍は遊軍を率いて、許昌の曹操軍に陽動を仕掛けて誘い出し、宛の孫権軍と連合してこれに当たります。汝南の関羽将軍にはその隙を突いて、逆方向から許昌を攻め入れば、帝をお救いすることができるでしょう』

この戦略に従い、劉備は張飛、趙雲、関羽の三将軍はそれぞれの軍勢を進撃させます。

漢中を出発した張飛の指揮する騎馬部隊は、涼州へと進軍すると迎撃に出てきた馬騰軍と交戦。

騎馬に通じ、騎射による一撃離脱戦法を得意とする馬騰軍にてこずりながらも、揉みに揉むという戦い方でこれを撃破。

さらに後続の重装備部隊が到着すると、天水、武威、安定を次々と陥落させ、遂に馬騰軍を降伏に追い込みます。

この間、趙雲は騎馬部隊二万騎を率いて長躯疾駆し、許昌の曹操軍四万を宛城付近まで誘い出すことに成功。

手薄となった許昌に対し、関羽は新野の関平と連合し、七万の大軍で一挙に攻め上がります。



許昌付近は多くの防備に守られており、名将・張遼がその防衛に当たっていました。

関羽は騎馬部隊を指揮する華姫と共に連携して張遼の相手をすると共に、関平に許昌攻撃を任せます。

張遼も奮戦しますが、多勢に無勢。許昌は陥落し、張遼自身も撃退され、敗走していきます。

許昌を失った曹操軍は猛烈に孫権軍を攻め上げ、宛を奪い取りますが、態勢を立て直す前に趙雲の攻撃によって壊滅。



年末、漢中で長安を見据える劉備の下に、関羽から献帝を無事に保護したという急報が届くのでした……


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